真宗 大谷派 存明寺

高倉会館日曜講演(住職の法話)

親鸞さま、あなたを探しつづける

――御遠忌と大震災と私――

           (2011年11月20日  高倉会館日曜講演抄録)

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酒井義一(東京教区 存明寺)


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皆さんおはようございます。ただいまご紹介いただきました酒井と申します。私は数年ほど前から、この2011年を自分の人生の大きな節目の年にしたいと思って過ごしてきました。言うまでもなく、今年は親鸞聖人の750回御遠忌という、大きな節目のときだからです。たどたどしい歩みではありますが、30年間、親鸞聖人の教えを学んできて、私はそこに確かな道があるということを感じ続けてきました。そのような私にとってこの御遠忌とはいったい何であったのか。といっても、御遠忌は昨日から始まった御正当報恩講も御遠忌だと思っておりますし、私の寺では来年、御遠忌が行われます。東京教区では再来年の1月に御遠忌が行われますので、まだ終わったわけではありませんから、中間報告のような形になりますが、4つに分けて私にとっての御遠忌を表現させていただきたいと思います。

1点目は、「親鸞に待たれ続けている私」ということです。これまでに実在した数ある祖師の中から私が親鸞を選んで学ぶ、といったことではなくて、よくよく親鸞聖人の教えを学んでみれば、私が選ぶよりずっと以前から親鸞聖人が私を待ち続けておられた。こういうことがあるのではないかということを、この御遠忌の流れの中で教えていただきました。

今から2年ほど前に親鸞聖人の御真影の還座式が行われました。そのときに廣瀬杲先生がこういうお話をしてくださいました。あるところにお母さんと息子さんがおられて、息子さんが不治の病にかかってしまった。もうわずかしか生きることができない息子の死を覚悟した看病の日々が始まりました。息子さんがある日お母さんに「僕は死んだらどこに行くの」と尋ねたそうです。しかしお母さんはそれに答えることができずに、「そんなことを言うもんじゃないよ」と言葉を濁したそうです。2回目に、息子さんはもう一度「死んだら僕はどこに行くの」と尋ねたのだそうです。お母さんは2回目も答えることができなかった。そして3回目に問われたときに、お母さんは「あなたは仏さまの国、浄土に行くのよ」と答えたのだそうです。息子さんは「そうか、じゃあ、お母さんもきっと来るね。僕先に行って待っているよ」と言ったそうです。間もなく息子さんは息を引き取って、亡くなっていかれた。そのときからお母さんの聞法の歩みが始まったということでした。私も浄土に行かなければ、わが子にうそをついたことになる。そのお母さんの懸命な聞法の歩み、浄土への歩みが始まったというお話でした。

廣瀬先生は、親鸞聖人が残された『末燈鈔』の「浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし」(聖典607頁)という言葉を引かれて、実はこのお母さんのみならず、この世を生きるすべてのものが親鸞聖人から待たれ続けていると話されたのです。私もその場で聞いておりました。

御遠忌というのは、私が勤める以前から、親鸞聖人がこの私を待ち続けておられるときなのかもしれません。そのことは言葉を換えれば、さまざまな矛盾、さまざまな困難な課題を抱える私を、その困難な課題をとっくの昔に見据えながら、人々の歩みを待ち続けている親鸞聖人が、御遠忌という形で私たちの前にやってきてくださるときなのでしょう。ですから、このときを無駄に過ごすのは、実にもったいないことだと、私は思っています。

2点目は、「親鸞聖人に遇う」ということです。この言葉は御遠忌の基本理念ということで、皆さんもいろいろな場所でお聞きになったのではないかと思います。当然のことですが、親鸞聖人は今から750年前に、そのいのちを終えていかれた方ですので、その方に再びお遇いするという道は閉じられています。しかし、ここでいう「親鸞聖人に遇う」というのはいったいどういうことなのか。

これについて、ある先生から、「親鸞聖人に遇ってきた人に遇う」ということであると教えていただきました。親鸞聖人に遇うとは、すでにして親鸞聖人に遇ってきた人たちに出遇うということである。そのうえにおいて、親鸞聖人は生きておられるのです。多くの言葉となって、今なお生き続けておられます。そしてその言葉は時にあたたかさを持って、まるで凍えそうな私たちに届けられてくる。言葉に出遇った者がその言葉の持つあたたかさに触れて、再び生きる力を回復してくる。そういうことが750年続いてきたわけであります。

私のつたない歩みを振り返ってみても、私にまで教えを伝えてくださった多くの方々がおられました。たくさんの方々にお遇いし、たくさんの生きた言葉を聞かせていただきました。言葉だけではなく、生きる姿勢を教えていただきました。私は今まで親鸞聖人に出遇って来られた方々に多くの刺激を受けて、とぼとぼとした歩みですが今日まで歩んできました。その方の生きる姿勢、さまざまな矛盾を抱えながらもこの世を生きていく姿、私もあんなふうに生きていきたいというこころをプレゼントされたような思いがしています。その方々の後ろには、やはり、親鸞という精神が生きてはたらき続けているということを感じています。

たくさんおられるのですが、今日はおひとりだけご紹介しますと、祖父江文宏さんという方がおられました。この方は真宗大谷派の僧侶ですが、衣を着たお坊さんではなくて、養護施設の園長先生をしながら親鸞聖人の教えを学んでおられた方です。養護施設ですので、親の勝手な都合によって、一緒に生活ができなくなった小さな方々が50人ほど、そこで生活をされています。

世の矛盾や悲しみに対して実践という形で人々とともに生きる道を尋ねていかれた。祖父江さんと教団の全国青年研修会のメンバーとしてご一緒させていただきました。いろいろなことを教えていただきましたが、今から10年前、61歳という若さで亡くなっていかれました。最後に残された言葉はこういう言葉でした。

わがままなのです じぶんのことしか かんがえないのです あなたのことを あいして あいして いるのですよ でも じぶんのことしか かんがえないのです (詩集『残された時間』22頁、東本願寺出版部刊)

世の矛盾、世の中に満ちる悲しみに身を添わせ、実践という形で人々と共に差別とたたかい、人間としての尊厳を求めた祖父江さんがこの世にのこした言葉は、わが身を悲しむ言葉でした。

私はこの言葉に、親鸞聖人の『教行信証』の中の「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし」(聖典251頁)という、自らの身を恥じ、傷んだ精神と通じる思いがします。世の矛盾と対峙しながらも、なおかつ自らの闇を見つめ続ける。私にまで教えを届けてくださった方の最後にのこされた言葉が、そういう生きざまを私に見せていただいたと、そのように思います。

ですから親鸞聖人に遇うという言葉は、すでにして親鸞聖人に出遇った人に遇うということであると受け止めています。そしてさらに言葉を重ねれば、やはり道に遇うということでしょう。親鸞聖人の歩まれた道に遇う。道に出遇うわけですから、親鸞聖人に遇えてよかったよかった、と腰をおろすのではなく、私がその道を歩んでいくということです。私もまた人に出遇うことによってそういう課題が与えられる。こういうことが親鸞聖人に遇うということではないかと感じております。

3点目は、「救いの歴史に参加する」ということです。750年、その人がこの世から去ったにもかかわらず、途絶えることなく念仏の教えが伝わってきた。それはなぜかといえば、やはり750年の間、この地球上に生まれた方々がさまざまな課題を抱えて生きてきたからだと思います。時に苦しみ、時に悲しみを抱え、人々はこの世を懸命に生きようとしてきた。だからこそ親鸞聖人という名前に代表される世界に人々が出遇い、そういう歴史が750年、絶えることなく伝わってきた。つまり教えは書物になっているから750年の間,途切れなかったのではなくて、その時代その時代に人間は課題を抱えながら教えに出遇ってきた。そうして、人を通して教えは伝わってきたのです。

私は4月、5月の御遠忌に参拝しながら、今まで自分に教えを伝えてきてくれた方々のことを思いながら、あの席に座っておりました。あんな人もいた、こんなことも教わったということを、なるべくいっぱい思い出してあの場にいたのです。そうすると、私の個人的な思いなのですが、なんだか申し訳なくなってきました。本当に私は親鸞聖人に向き合えるような歩みをしてきたのだろうか。私にまで教えを伝えてくださった方々に顔向けができるような歩みをしてきたのかということを、親鸞聖人の御真影を前にして振り返ってみると、何だか情けないというか、まだまだ本当に明らかにしなければならない課題はたくさんあるというようなことを感じて、なんだか泣けてくるような御遠忌をお迎えしたわけです。人を通して伝わってきたこの750年という歴史を、あらためて重く受けとめなければならないと思います。

そんな中で、この御遠忌の課題も感じました。4月、5月で計4回、本山に上山したのですが、団体参拝として各教区から来た方々が大変にぎやかにお堂を埋め尽くしておられました。しかし、にぎやかだったのは団体参拝席だけでありました。私が見た限り、一般参詣席は見事にがらがらでした。唯一いっぱいになったのは最終日だけでした。これは一つの象徴でありますが、やはり団体参拝、あるいは寺壇制度というものを、今のこの教団は乗り越えることができなかった。そういう御遠忌であったということを、私もこの教団の一員ですので、自己批判も込めて感じております。

世の中に目を向けてみれば、百年に一度の不況と言われ、人が労働力として機械の部品のようにして使い捨てにされる時代を迎えています。そして自らいのちを絶つ方は1998年から実に13年連続で3万2千人台で推移しております。青少年の就職の道は閉ざされ、いじめといった問題も絶えない。そのような中で、3・11の大震災が起きて、多くの方々が、苦しみ悲しみを抱きながら今の世を生きております。

このような世の中の現実に向き合い、そこであたたかな世界を開くことが真宗の名に学ぶ者に、親鸞の名に学ぶ者に、果たして実践できているのかどうか。これはひとえに私ひとりの責任でもありますが、教団に属する人々、親鸞に学ぶ人々の課題でもあろうかと思います。苦しみ悲しみを抱え、懸命に生きてこられた人々を通して教えが伝わってきたという歴史を思うとき、参詣席に目を向ければ、この御遠忌で明らかになった課題が確かにあるということを感じるところであります。

そういう意味で4点目は、「御遠忌を新たな出発点とする」ということであります。寺を強くするための出発点などではありません。本当に親鸞聖人の魂に燃えた信仰共同体と言いますか、炎に燃えた世界を築くための新しい出発点にしなければならない。でなければ、本当にわれわれが御遠忌を迎えたという証しにはならないのではないかと思います。

あと50年すれば親鸞聖人の800回忌がやってきます。そのとき私はいないと思いますが、先を見据えて、そのころには今と違った教団、本当に人々が生き生きと集うような教団になるためには、やはり今がはじめの一歩です。今回の御遠忌で感じたこと、そしてそのうえでのこれからの歩みの課題として、そんなことを思っております。

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3月11日、この国を大きな地震と津波と原発事故がおそいました。あの日までは親鸞聖人の御遠忌から私が問われるということだけを思っておりましたが、あの日以来、この国の人々は大震災からわれわれの日常が問われるということを、等しく迎えたということです。

東京教区には、教区としてのボランティアの動きがありまして、まだ本当に数える程度でありますが、何回か被災地に身を運びました。つくづく思うことは、できることは誠にささいなことであります。そしてさらに言えば私は、そこにとどまって生活する者でなく、つかの間の間だけそこにいて、帰る人なのです。しかし、そのような私でも、被災地で見た風景や、そこで出会った人は、大変大きなことを教えてくださいました。

山田町という所がありまして、岩手県の沿岸部の中腹辺りにあるところですが、その町に炊き出しにお邪魔したのです。東京教区から8名の者が9時間かかって山田町に着きました。そこに真宗大谷派のお寺がありまして、そこで焼きそば200人前、中華丼300人前、焼き鳥300人前の炊き出しを、昼と夜の2回に分けて実施させていただきました。

お昼から焼きそばの炊き出しをしますということを、前もって宣伝させていただいたのですが、地元のおばあさんたちが、お昼からの炊き出しに朝の9時から並び始めたのです。そんなに早くから待っていてくださって、こちらも気合が入ります。おばあさんたちがいろいろ話しかけてくださいました。「どこから来たの」、「東京からです」、「そんなに遠くからありがたいね」と、親しみを込めて語ってくださいました。そういう形で、いろいろな会話を楽しみながら炊き出しをしました。お昼になったときには100人ぐらいの方々が並んでおられました。皆さんに焼きそばをお配りして、ベンチを用意して、そこで食べられるようにしました。おばあさんたちは私たちのすぐ近くに座って、焼きそばを食べてくださいました。「今まで食べた焼きそばの中で一番うまい」とおっしゃったのです。お世辞だとは思いますが、うれしかったですね。

そんな形でお昼ご飯が終わって、お帰りになるのかなと思ったら、また一番に、今度は夜の炊き出しのために並び始められたのです。まだ夜の準備を始める前でした。結局この日、このおばあさんたちと9時間、時間を共に過ごしました。地震のときはどうだったのですか、という私たちの問いかけに、ものすごい揺れがきたことや、津波から逃げて高台へ向かったこと、海の方から砂ぼこりを上げながら津波が襲ってきたことなどを聞かせてもらいました。やがて火事が出て、山田町は火に覆われたのです。津波と同時に火災があって、丸2日間、町は火に覆われて、そして、一面の焼け野原が残ったということでありました。本当に身ぶり手ぶりでそのことをお話ししていただいて、当日のすさまじさが伝わってきました。 そうしているうちに時間は経ち、火をおこして夕方の炊き出しが始まりました。すると、おばあさんたちは今まで座っておられたのですが、見るに見かねて、こちら側の中に来て一緒に包丁を持って、手伝ってくださいました。当然、私たちなんかより数段スピードが速かったです。

そのようにして、山田町の方々に手伝っていただきながら、私たちの炊き出しは何とか無事に終了することができました。最後におばあさんと固く握手をして、その日は別れたわけです。その日の夜、そのお寺で宿泊をさせていただいたとき、住職さんが言った言葉が私は忘れられません。「あのおばあさんたちは中華丼や、焼きそばや、焼き鳥のために九時間もここにいたのではないのですよ。支援に来られる方のそばにいたいから、あの方々はここにおられたんです。ここにいると自分たちは見捨てられていないということを感じることができるのでしょう」。このように住職さんはおっしゃいました。

時は6月、行政による支援は打ち切りになった頃でありました。なぜかと言いますと、次々と個人商店が再開し始めたからです。個人商店が再開し始めれば支援物資は打ち切りのようです。そのような中で、9時間も一緒にいたあのおばあさんたちは「自分たちは見捨てられていない」、そういう居場所を求めておられたのだと教えられ、とても強く印象に残っています。

たとえどのような状況を生きようが、人々のこころの奥底には「見捨てられていない」「私はここにいます」、こういうこころを人間というのは持ち続けているのではないでしょうか。 そんなことを思ったときに、親鸞聖人の言葉を思い起こしました。これは『御文』の第一帖目一通にある言葉ですが、「聖人は御同朋・御同行とこそかしずきておおせられけり」(聖典760頁)という言葉です。「かしずきて」ですから、相手に敬いを込めて丁寧に、御同朋・御同行よと呼びかけられている。これはなにも浄土真宗の門徒の人たちだけに言った言葉ではありません。この世に生きるすべての方々の奥底に、道を求めるこころがあるということを見いだされ、同朋よ、とかしずかれたのが、750年前の親鸞聖人だったと私は受け止めております。

もし親鸞聖人が今おられたのなら、山田町で生きるこのおばあさんにも、御同朋・御同行よと、共に見捨てられていない道を、見捨てられていない世界を求めようではないかと、呼びかけられる親鸞聖人がそこにおられたのではないかと思います。

であるならば、本当にわれわれがすべきことは、困った人に炊き出しをするという形は取りますが、そこでとどまるのではなく、やはり、道を求める仲間よと言いあえるような関係を、この娑婆世界に築いていくということが、私に与えられた宿題ではないかというようなことを思う次第です。

今回の御遠忌のテーマは「今、いのちがあなたを生きている」ですが、このテーマが私はよく分かりませんでした。今でも分かったとは言えませんが、大震災をきっかけに、このテーマに少し近さを感じるようになりました。

被災地や、今を生きる方々の声を聞きながら、いのちには願いがあるということを、以前に法話で聞いたことを思い出したのです。どんな願いかというのを、私の先生は3つの言葉で教えてくださいました。

 1点目は、「倶会一処性」。ともにひとつの場所で出遇いたいと願わずにはおられない精神がいのちには宿るというお話でした。私の頭はわがままですから、そんなことは思いもしません。この人だったらいいけど、あの人はちょっと向こうへ行ってくれと。このような感じですけれども、そのわがままな私を支えるいのちそのものは、「倶会一処」という、ともにひとつの世界で出遇うことを求めずにはおられないいのちである。

2点目は、「帰巣性」ということでした。大空を飛びまわる鳥が、あたかも夕方になると巣に帰るように、本当にこころ落ち着く世界を求めずにはおられない。帰るべき世界に帰らずにはおられないいのち。

3点目は、「共同安危」。安らかなときも、危機的状況にあるときも、その世界を共同してやまない。共なる世界を求めずにはおられない。そういう願いを持ったいのちであるのだ、ということです。

繰り返しますが、私の頭はわがままです。帰るところよりも、いつも寄り道をして、自分の身が心地よいところを求めます。そして、安危を共同するということよりも、本音を言えば、私でなくてよかったという思いが起こってくるようなのが私です。そんな、自分さえよければ、というこころが渦巻いているのが私たちの事実ですが、そのような私たちを支えるいのちそのものには、このような願いがあるということを先生から教えていただきました。

この言葉を今、被災地を通して思いますと、やはり見捨てられていないという場所を求めずにはおられない、山田町で出会ったおばあさん、その本当に帰るべきところを求め続ける姿や、人と共にありたいという姿に、こういったいのちの願いのはたらきを思います。そしてそのこころをこの私も同じくしているのだと教えられます。

本来の場所に帰らずにはおられないいのちが、今、私を生きている。安も危も共同せずにはおかないといういのちが、今、私を生きている。あらゆる人と、ひとつのところで出遇いたいと願ういのちが今、私を生きている。こう考えると、今回の御遠忌テーマというのは、非常に動きを持ったテーマであり、さらに言えば、その呼びかけを前にして、私を突き動かすような言葉として響いてくるような気がします。いよいよ、この倶会一処するいのち、帰巣するいのち、共同安危するいのちを生きよと願われて久しいのではないかということが問われる思いです。最近、そのように御遠忌のテーマをいただいているところであります。

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この御遠忌に向けて、何年か前から、私は自らにいくつかのノルマを課してきました。2011年に、ただ団体参拝に行くというだけでは親鸞聖人に顔向けができないような気がして、親鸞聖人の教えを学んできたもののひとりとして、何らかの形で自己表現をしたいという思いがありまして、いくつかのことにチャレンジしてきました。

例えば、先ほども申したような、真宗ボランティアという動きです。数年前から東京で、御遠忌までには何とか教区としてのボランティア体制を、きちんとしておきたいということを仲間と相談して、体制を整えつつあったときに3・11を迎えました。ですから、いよいよ本当に真宗におけるボランティアということを実践し、深めていかなければならないと思っているところであります。

具体的には、真宗ボランティアは被災地での真宗同朋会運動だということを深めたいと思います。ボランティアという言葉はなにか、偽善とか、救う者と救われる者がいて、そういった高みに立った運動とか、いろいろな誤解がありますが、やはりこれは被災地での真宗同朋会運動なのだということを押さえたいと思います。

真宗同朋会運動と言いましても、被災地で同朋会をつくるという運動ではありません。目の前にいる人をひとりの同朋として見いだしていくという運動です。ここにも人がいた、ここにも人がいた、という出遇いの中で、共に真剣に生きる道を求めようとするこころを持っている者同士として、ひとりの人間を同朋として見いだしていくというのが真宗同朋会運動ですね。私はそのように受け止めています。

本当にそのような質を持った運動が展開されること、それが東日本大震災に遭遇した私たちの大切な視点であり、課題ではないかということを感じています。

今、東日本大震災で被災地やこの国全体が言葉にならないような悲しみに直面しています。身近な者を亡くした悲しみ。生活を奪われた悲しみ。故郷を失った悲しみ。そして多くの方々が、自分はなぜ生き残ってしまったのかという思いを抱えていると聞きます。あるいは、なぜあのとき、あの人たちを助けられなかったのかという後悔の思い。なぜ自分だけがここで生きているのか。共に生きる道を求める者としての私たちの目の前には、そういった怒りや不安やむなしさや悲しみが溢れているのです。これが今この国が直面している課題です。

このような悲しみを、いったいどのように抱えて生きていけばいいのかということについて、親鸞聖人にたずねていくべき時を迎えているということを感じるのです。親鸞聖人の『教行信証』の総序の言葉の中に「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智」(聖典149頁)という言葉が出てまいります。悪という言葉を、悲しみという言葉に置き換えてみれば、「悲しみを転じて徳を成す」。つまり悲しみを消し去って人間が救われるのではないというのです。私たちの日ごろのこころは、悲しみがなくなることが人間の救いなのではないかと考えますが、親鸞聖人が生きられた道というのは、悲しみを消していく道ではなく、悲しみが本当に徳と言えるような、そういう世界があるのだと、これを親鸞聖人は私たちに示しておられるのではないかと思います。南無阿弥陀仏の教えは悲しみを転じて徳を成す、とおっしゃっているのです。

『正信偈』でいえば「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」(聖典204頁)という言葉でしょうか。つまり、過去の出来事に意味が与えられるということでしょう。意味が与えられるという、そういう救いがあるのではないかと私は受け止めています。「救いとは、過去が救われるということ」という言葉があります。人間というのは過去が納得できないのですね。できれば起こらなかった方がよかったのに。あのことさえなければ、というように、過去が納得できない。過去が救われないということで、われわれは悩みを抱えるのではないでしょうか。

そのようなわれわれに対して、救いというのは、過去に意味が与えられることであると、こういう言葉として私には響いてきます。あの出来事には大いなる意味があった。こういう世界が願われているのではないかと感じます。悲しみの状況を救うのが親鸞の方法ではなく、悲しみを抱く人間存在そのものを見つめ続ける。状況を救うということは、悲しみを取ってあげるとか、そういうことですね。そういったことではなく、悲しみを抱く人間、その人間存在そのものを見つめ続ける。そういう世界が親鸞聖人の出遇われた世界なのではないかというように思っています。

今朝、こんな言葉に出遇いました。「悲しみよ、おまえのおかげで私は仏に遇う」。高倉会館の入り口にあった言葉です。日本だけではないかもしれませんが、特に今、日本の中ではこの悲しみということを大きなきっかけにして、仏と呼ばれているような世界に出遇うことを、実は声にならない声で多くの方々が願い求めているのではないかと思います。

この御遠忌が終わったらどうなるのかというと、これは当然のことですが、御遠忌後の歩みが始まるわけです。これはずっと続いていくのです。800回忌の次は900回忌、900回忌の次は1000回忌が行われます。ということは、まだ見ぬこれから先、この日本という国、あるいは世界で生きる人々が、やはりこの親鸞聖人の教え、あるいは親鸞聖人の出遇った世界を願い求めるということが、私はあると思います。

なぜ、そんなことが言えるかと言えば、これからも人間は苦しみ、悲しみを抱えるからです。苦しみ、悲しみを抱えるということは、あたたかな世界を願い求める人類の歴史はこれから先も続くということでしょう。過去からも750年間、あたたかな教えが伝わってきた。そして、これから未来にも求められているということは、やはり過去からも未来からも、今の私の歩みが待ち望まれているということになるのではないかと思います。

そのような願いに背を向けない歩みをしていきたいということを思います。それは、取りも直さず、私にとっては「親鸞さま、あなたを探し続ける」、という歩みではないかと受けとめています。

                                   了

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以上「高倉会館日曜講演 抄録」」でした。

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