新型コロナウイルスの感染拡大が大きなニュースとなっています。
これ以上の感染拡大を避けるため、
一人ひとりができる限りの感染予防をする時期です。
手洗いやうがい、マスクに除菌スプレー、体調管理などなど。
うつりたくないという思い、それは誰もが持っている、ごく普通の思いです。
しかし、そのうつりたくないという思いが、
時として間違いを犯してきたという歴史もあります。
ハンセン病問題がそれです。
菌を隔離(かくり)するのではなく、
感染者を生涯にわたって隔離してきたという大きな過(あやま)ちの現実がありました。
その根底にあったものは、国の間違った考えと、
私たちの中にあるうつりたくないという思いだったのです。
感染した人は、人にうつさないように注意することはもちろんですが、
私たちが本来避けるべきことは菌なのであって、
その菌に感染した人ではないのでしょう。
しかし、その線引きが難しいのです。
その結果、人をきらい、人を避けていくことをしてはいないでしょうか。
今この時にあたってコロナウイルスの感染拡大を防ぐことはもちろん、
正体不明の細菌・病気の感染拡大を恐れるあまり、
病気に対する偏見・差別が私の内外に拡大していかないことにも
注意していかなければなりません。
そこにいるのは人間。
その人の苦しみから目をそらし、見ようとしない怖ろしい目を、
私はしてはいないでしょうか。
今気になっていることです。
2020年2月29日
(釋諦信・酒井義一)
ーーーーーことばーーーーー
本当に怖(こわ)いのは、
らい菌なんかじゃないんですよ。
むしろ怖いのは、
ハンセン病患者の苦悩(くのう)をまともに見つめてくれない、
壮健(そうけん)たちの目ではないか。
私はそう思っています。
我々の苦しみから目をそらして、
これを見ようとしない、
壮健社会の目こそ怖いのです。
(あるハンセン病回復者の言葉)
※壮健とは、非感染者である私たち一人ひとりのことです。
真宗大谷派 存明寺