◆2024年2月の掲示板の言葉
街角 人間の一番醜い姿とは 自分の嫌なものを排除している姿
門前 仏教はわかる教えではありません。
なるほどその通りとうなづく教えです。(今泉温資氏)
境内 慶 慶ばしいかな(親鸞)
お寺にある3か所の掲示板の言葉たちです。それぞれに役割があります。
●街角の掲示板⇒通りがかりの人にも伝わるようなわかりやすい言葉を。
●門前の掲示板⇒ここのお寺の活動のテーマとなるような言葉を。
●境内の掲示板⇒経典の言葉や親鸞聖人の言葉を。
【お寺の掲示板 写真集 その1】
【今までのお寺の掲示板の言葉】
行く手をはばむ壁は やがてなにかに出遇う 扉にかわる
その人の大きさは その人が出会ったものの大きさ
「私は正しい」 すべての争いの根は ここにある
救いとは 道に出遇うということ
釈迦の声に押し出され 弥陀の声に呼び戻される (一楽 真)
亡き人が「あなたも死す身」だと 呼びかけてくる
常に心に憶い続ける言葉を持て
ちょっと休けい息をぬく そして仏の教え聞く それがこの世を生きぬく道
人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か
つみを けし うしなわずして 善になすなり (親鸞)
失敗が 人を 育てていく
共に仏道に向かえしめたまうなり (親鸞)
訳)ピンチは目覚めて生きるチャンスとなる
仏さまのこころとは えらばずきらわず見すてず というこころ
人は皆誰もが求道者 ー人として生きる道を誰もが皆求めているー
弟子に準備ができたとき 師は自然と現れる
空しさは 本当に生きたいという いのちのさけび
世の中が悪世であればあるほど
本願は光ってくるのです (仲野良俊)
人生 思い通りにならないことばかり
そのことが私に 大切なことを気づかせてくれる
コロナという時代を 悔いなく精一杯生きていきたい
それが全人類共通の 心の底からの叫び
人は親を亡くして親を知り 親を亡くして親と出遇う
如来は「こんな奴はだめだ」とは、絶対にいわない。 (安田理深)
恩返しは なかなかできない
でも恩を送ることは できる
人間の抱く課題を裏から見ると
願いが見えてくる (尾角光美)
不安はなくすべきものではなく
活かすべきものなのです (上田紀行)
自分の外にあるものを支えに生きるかぎり
いつも不安におびえねばならぬ
人知るもよし 人知らぬもよし 我は咲くなり (武者小路実篤)
いたずらに後悔を貽すことなかれ (親鸞) 訳 悔いなきいのちを生きてほしい
「私」ということが 問題にならない限りは
人間にとって 出発は 起こり得ない (平野 修)
ウイルスは 人を傷つけ 生きのびる 私もです
不安は いのちそのものが 確かなものを求めている うめき (宮城 顗)
つらく苦しいことは 不幸なことではなく
それを通してのみ 見えてくる世界がある (伊藤 元)
踏みつけられた ひとりの人間を忘れていないか
静かに落ち着いて ひとりの人間を見届けていく
心のこもった勇気が欲しい (宗 正元)
人の話はしっかり聞く
自分の言葉で自分を語る (存明寺10か条)
かん丹の一粒は 鉄を変じて 金と成す
真理の一言は 悪業を転じて 善業と成す (親鸞 教行信証行巻)
人類にはその邪悪なウイルスに対抗できる免疫が確かに備わっている。
邪悪なウイルスとは新型コロナウイルスではない。
差別や偏見というウイルスである。 (2月2日 中日春秋より)
争い。
「私は間違っている」という時は争いにならない
「私は正しい」という時に人は争う (藤森教念)
となりの人の名を〇〇さんと呼びましょう
名前は大事です
たとえば初恋の人の名を思い出してください
ほら そんなに優しい顔になった (山本龍昇)
仏教はわかる教えではありません。
なるほどその通りと うなずく教えです。 (今泉温資)
あなたが笑うと
私はしあわせになる (祖父江文宏)
人間は 死を抱いて生まれ
死をかかえて 成長する (信国淳)
母去りて はじめて親の恩を知り
母去りて いのちの重さを知り
母去りて 身の無力を知る
母去りて はじめて人間を知る
尊きは 去りてはじめて 母となりし人 (藤元正樹)
死はたぶん それがお母さんからあなたたちへの
最後の贈り物になるはずです (平野恵子)
老いや病いや死が
人生を輝かせてくれる
思い込みが 道を閉ざす
もうだめだという向こうに
「必ず道あり」という世界を
教え示してくれたのが親鸞聖人 (孤野秀存)
仲間を作れば
同時に 仲間はずれを作り出す
ただ亡くなったのではない
その人は大切ないのちを生きた人なのだ (佐野明弘)
苦しいのは
自分を中心にしているからだ
出発のときはきた 君よ 君への内なる道を歩め
怖れることはない 心がつかれたら いのちの声を聞け
だいじょうぶだよ 生きていけるよ (祖父江文宏)
このたびのご縁は 初事と思うべし
このたびのご縁は 我一人の為と思うべし
このたびのご縁は 今生最後と思うべし
如来の本願は 風のように 身に添い
地下水の如くに 流れ続ける (平野 修)
私の生き方は本当にこのままでいいのだろうか?」
この問いこそが 私たちに仏法を聞かせ
仏道を歩ませてくれるのです (黒萩 昌)
人生のあらゆる出来事が
あなた目覚めなさい
ということを呼びかけている (平野 修)
長いこの世の旅では 自分も傷ついたが
人も傷つけた (榎本栄一)
話を聞いても 九割は忘れる
でも 心に届いたことは 忘れない
すきな自分 きらいな自分
どっちも自分 大切な自分
死を 遠ざける 暮らしは
生を 安っぽくする
私も あの犯人と 同じことを 考えたことがある
それが どんなに悪いことか 今 あの人が おしえてくれた
(「ハナダイコン」 星野富弘)
ご法事とは その人を 思い起こすということ
語り継ぐということ 忘れないと誓うということ
たった一言のことばが 人生を変える時がある
夢を追う君へ 思い出して つまづいたなら
いつだって物語の 主人公は 笑われる方だ
人を笑う方じゃないと 僕は思うんだよ (「サザンカ」 SEKAI NO OWARI)
己れに願いはなくとも 願をかけられた身だ (藤元正樹)
生涯を尽くしても 出遇わねばならない ただひとりの人がいる
それは 私自身 (廣瀬 杲)
ほんとうの話し合いは 聞き合うこと
いたみ 苦しみ 悲しみを 大切にする 人生を
自分が変われば 相手も変わってゆく
皆誰もが 遺言を残す
限られたいのちを大切に生きてね
悔いの残らない人生を生きてね
瞬間瞬間をていねいに生きてね
食わなければ死ぬ 食っても死ぬ
皆一人ひとりが 瞬間湯沸かし器の
種火を持っている ということです (櫟 暁)
孤独は 人を利用した 報い (調 和晃麿)
ハードルは
高ければ 高いほど
くぐりやすい
たった一言が 人を傷つける
たった一言が 人をあたためる
出会いが 人を 育てていく
別れが 人を 深めていく
賢いものは 学びたがり
愚かなものは 教えたがる (生涯学習)
高さと強さを競いあって生きているがゆえに
もっと深くて広い世界を願わずにはおられない
がんばらない でも あきらめない
人生における苦しみは
すべて如来の激励である
人は皆誰もが ちゃんと生きたがる存在
失敗なんて あたりまえ
求める心をもつ人は 永遠の若者である
平和のために たたかいが続く なんと愚かなことか
青・黄・赤・白 それぞれの色 それぞれに輝く (釈尊 阿弥陀経)
正義は勝つ いつも誰かを 傷つけて (渡邉元浄)
弟子の準備ができれば 師があらわれる (ラマ経 チベット仏教の経典)
いつまでも純真なれ いつまでも未熟なれ いつまでも持続せよ
(大谷大学児童教化研究会に伝承されている言葉)
若いときは二度ない 同じように 老いるときも二度ない 両方を大切に
わたしたちは 生きようとするいのちに囲まれた 生きようとするいのちである
(アルベルト・シュバイツアー)
罪を自覚することだけが 罪を超える道 (仲野良俊)
宗祖親鸞聖人」は過去の人ではなく
一人ひとりがこれから出遇ってゆく 未来の人なのであります (宮城 顗)
教える世界は冷たいが 教えられる世界は温かい 教えられたところから出た言葉は 体温を持つ 体温をもった言葉は 必ず相手を包み 相手に響いていく (松本梶丸)
自力とは 自分の努力を誇っていく道です 他力とは 努力できる自分を喜んでいく道なのです (宮城 顗)
【お寺の掲示板 写真集 その2】
おごそかに ていねいに にぎやかに
むつかしいことをやさしく やさしいことを深く
深いことをおもしろく おもしろいことをまじめに (井上ひさし)
自分の悲しみをとおして 人間の悲しみを知る (宮城 顗)
人間の悲しみをわが身に受けとめ生きていく (宮城 顗)
涙の出るようなご縁に遇わないと 仏法は響かない
―涙のずるごたるご縁に遇わんばね 仏法は響かんとばい― (友人の母の遺言)
光を追う人に光なし 光なき人 光を仰ぐ (藤原鉄乗)
人間の本当の願いは「通じ合って生きたい」これだけなんですよ (竹中 智秀)
花咲かす 見えぬ力を春という 人となす 見えぬ力を 仏という (藤元正樹)
自らを悲しむ心が やがて生きる力を生み出す (自作)
いのちの声を聞く (東京五組の教化テーマ)
生きるにも 死ぬにも やさしさが要るのです (『残された時間』 祖父江文宏)
私は正しい すべての争いの根は ここにある
僕の正義がきっと 彼を傷つけていたんだね (「Dragon Night」 SEKAI NO OWARI)
出逢った日 恋に気づいた日 結婚した日 別れたいと思った日 子どもを抱いた日 手を離れた日 溢れる涙よ これは幸せな日々 涙の数だけ きっと幸せな日々 『日々』 吉田山田)
昔は なにもなかったが なにかがあった 今は なんでもあるが なにかが足りない
これでいいの 自分を好きになって これでいいの 自分信じて 光あびながら 歩きだそう (Let It Go ~ありのままで~)
あなたの苦しみは いつか誰かの 慈しみになる
発菩提心というのは つまりこのまま腐って死にたくないということですよ (竹中智秀)
辛いとき 辛いと言えたらいいのにな 僕たちは強がって笑う 弱虫だ (Aqua Timez 「決意の朝に」)
わがままなのです じぶんのことしか かんがえないのです あなたのことを あいしてあいしているのですよ でも じぶんのことしか かんがえないのです それでもあなたを あいしてあいしているのですよ (「さようなら」 祖父江文宏 2001.10.10 2002.6.1命終)
赤表紙(聖典)と新聞紙の狭間で教学しなさい (安田理深)
真宗を学ぶ者の姿勢は 現実と聖典の間に身を据えるということが大事なことだ しかし 私たちは現実と聖典の間に寝そべっているのではないだろうか 間に身を据えるということは 真向いになるということだ 聖典に真向いになり 現実に真向いになることだ
(宮城 顗)
教法からの呼びかけと 現在の課題からの問いかけの交差する一点に 身を置く (児玉暁洋)
どれほど道があろうと 自分が登るとなるとひとつです (平野 修)
貧乏な人とは 少ししかものを持っていない人ではなく いくらあっても満足しない人のことだ (ムヒカ・ウルグアイ大統領 地球サミット2012スピーチ)
深い悲しみ苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある (平野恵子)
自力執心があるから 真実信心が生きて輝く (曽我量深)
善人ばかりの家庭では 争いが絶えない (西蓮寺報)
われら一向に念佛申して 佛天のもと青草びととなりて 祖聖に續かん (信国 淳)
一番よりも尊いビリだってある (東井義雄)
真宗を学ぶということは 決して自分を強くするということではありません 自分が強くなるのではなく かえってそのことによって いままでの自分がつきくずされてゆき うちこわされてゆくということでなければなりません いままでいろいろな理屈を学んで強くなっていた自分 そしてまたさまざまに働いて それなりに地盤と自信を身につけていた自分が 念仏の教えをとおして 何もかもつきくずされていくのです
(『この道をいく』 信楽峻麿)
これからが これまでを 決める (藤代聰麿)
空しさ・不安・悲しさ・・・ それらは私を歩ませる促しであった (自作)
堕ちる地獄は 恐ろしく思えども その地獄をつくる 己の心を知らぬ
以上「掲示板の言葉(すべて)」でした。
随時追加中です。
親鸞と出遇うお寺
真宗大谷派 存明寺