真宗 大谷派 存明寺

本明寺御遠忌(住職の法話)

宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要&本明寺第3世住職就任式 法話

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日時 2014年(平成26年)10月19日(日)

場所 真宗大谷派 本明寺(墨田区太平・本田彰一住職)

 

 

  • はじめに

東京の世田谷で真宗大谷派のお寺の住職をしております酒井と申します。どうぞよろしくお願いします。

まずは、長年にわたりまして、このお寺でご住職、そして坊守さまとして様々なご苦労を背負ってこられた隆見前住職、信子前坊守のご苦労に対して、心から敬意を表したいと思います。長い間、本当にお疲れ様でした。

そして、今日こうして新しく住職となられた彰一住職、新しく坊守となられた有希坊守、このお二人がこれからこのお寺を念仏の道場として相続していかれる、その決意に対しても心から敬意を表したいと思います。住職就任、坊守就任、誠におめでとうございます。

そして、本明寺様にご縁のあるすべての方に改めて申し上げます。ここにこうして宗祖親鸞聖人の750回目の御遠忌法要、そして新しい住職の就任式を迎えましたこと、誠におめでとうございます。

私は今ご紹介があった通り、彰一住職を小さい頃から知っております。私は今55歳で彰一住職が今32歳。つまり、2周りくらい違うわけです。しかし、それは戸籍の記録上の話であります。気分的に私は今35歳くらいでいますので、たいして年は変わりません。(笑)ですからおこがましいことですけれども、同じ親鸞聖人の教えを聞く仲間としてお付き合いをさせて頂いております。

私は24歳の時にお寺の副住職として帰ってきました。計算でいくとその頃に彰一住職がめでたくお誕生されたわけです。それからしばらく時を経て、小学生になられた時にお父様の隆見さまと一緒に子ども会に参加されたのが初めて出会った時でした。大きな声では言えませんが、今と少しも変わらない天真爛漫な子で、今と変わるのは、昔は声がもっとかん高かったことぐらいです。本当に元気のいい、みんなから愛される小学生でありました。

中学高校大学と、しばらくお付き合いが途絶えていたのですが、ある日立派な青年となって東京教区に帰ってこられ、以来はひとりの仲間として一緒にお付き合いをさせて頂いております。有希坊守も子どもの頃から知っておりまして、かわいい女の子で、今は素敵な女性になられました。こうしておふたりが大きくなられて、親鸞聖人のお寺を大事にしていこうという心意気に感動します。

今日は朝からお参りさせていただいていますが、何か本当にジーンとくるシーンがいくつかあって、涙がこぼれ落ちそうになりましたが、55歳のおじさんの涙は御遠忌には似合いませんので、グッとこらえているところであります。

 

 

  • 親鸞は生きている

さて、御遠忌を迎えたということでありますが、ひとつここで皆さんと確認をしたいことがあります。御遠忌というのは親鸞聖人の御命日の法要ですが、親鸞聖人は今から750年前にお亡くなりになっておられます。ですから生身の親鸞聖人と私たちがお会いするということは出来ないわけです。しかし、「親鸞は生きている」ということを確認したいのです。

親鸞聖人は750年前に亡くなったのですが、親鸞聖人は言葉となって生きている。「人は死んでも、言葉は死なない」という言葉があります。たとえ人が亡くなっても、その人が残した言葉というのは、そう簡単に消えるものではありません。

私が住職をしているお寺で最近80代の女性がお亡くなりました。通夜葬儀が行われて、そこのお嫁さんがこうおっしゃったのです。お義母さんを看病していて最後に「あなたのお蔭でいい人生だった。長いことありがとう」と言ってお義母さんは息を引き取られたそうです。

長いお付き合いの中では、出会えてよかったと思う時もあったけれども、時としていがみ合い、言い争うこともあります。なんでこんな家に嫁に来てしまったのだろうと思うこともあったことでしょう。でも人生の最後に「あなたのお蔭でいい人生だった。長いことありがとう」という言葉を、手を握って言ってくれた。お義母さんは亡くなったけれども、言葉が時折思い返されてきて、なにか生きる力を今も与えられているということでした。

こういうことはよくあることです。「人は死んでも、言葉は死なない」その言葉があたたかなぬくもりを持って人間を励ましていくということです。

先ほど彰一住職が、小さいころに出会ったご門徒が「あなたに俺の葬式のお経を挙げてほしい」と言われた言葉が自分の励みになったという言葉を、今私たちは聞きました。それは、「誰でもいいからお経を挙げてくれ」ではなくて「あなたにお経を挙げてほしいんだ」という言葉に、もっと深い願いというものを感じたのだと思います。

だから言葉が人を励まして、その言葉が人を前に歩ませていくということは、私たちが生きる中にはよくあることです。親鸞聖人の言葉もそうです。親鸞聖人の言葉も、750年経っても少しも色あせずに、人間を励まし、立ち上がらせて、そして、歩み出させようとする。そういう力を持っています。このことは、私が親鸞聖人の教えを学び始めてまだ30年しか経っておりませんが、いろんな先輩たちから教えて頂いたことであります。

 

 

  • 教えが伝わってきた歴史

今日パンフレットを頂きまして、本明寺に開基の住職がおられて、初代の住職がおられて、2代目の住職がおられて、本日3代目の住職が誕生したわけであります。私は隆見前住職のお父さまやおじいさまにはお会いしたことがありません。お会いしたことがありませんけれども、1909年という時代にこの地にやってこられて、親鸞聖人の教えを広めるのだと立ち上がって歩み出された人たちがおられた。そのような一人ひとりのところで親鸞聖人の言葉が響いて、そして時代を越えて、この2014年という時を私たちは迎えたわけであります。

私が知らないだけであって、この750年という歴史の中には、様々な人たちが熱い思いを持って親鸞聖人に出会ってきた。そういう歴史があるということを、私たちは忘れてはならないと思います。「親鸞さま、親鸞さま」と親にすがるように言って、その人の名前に魅力を感じて、その人を探し続けてきた。そういう人類の確かな歴史が、750年もの間途切れることなく伝わってきているということを、皆さんと一緒に確認したいと思っています。

ではなぜ、750年もの間、途切れることなく教えは伝わってきたのでしょうか。これは想像というか、確信でもあるのですが、その時代その時代に人々はいろんな苦しみや悲しみを抱えてきたということが、恐らくあるのでないかと思います。人々はその時代の中で様々な苦しみや悲しみを抱いてきた。

でもそれだけではなく、そういう苦しみや悲しみを抱くがゆえに、あたたかな教えに出会ってきたということが言えるのではないでしょうか。仏教は色々な言葉で私たちが持つ苦しみや悲しみや濁りを言い当ててくれています。今日は2つの言葉を紹介したいと思います。

 

 

  • 見濁

ひとつ目は「見濁」という言葉です。モノの見方が濁っている。人間として生を受けた者は、このような濁りを抱えて今を生きていると、教えは私たちに伝えてきてくれています。私たちは濁っているなんて思ってもいませんけれども、この「見濁」は私のモノの見方が濁っていると言うのです。これはどういうことかと言えば、人間がモノを見る時に必ず自分を中心に見ていきます。こういう濁りを抱えるのが人間だというのです。

10月7日のことだったと思います。皆既月食というのがありました。多くの方がご覧になったと思います。夜になり、出たばっかりの月がやがて欠けていって、そしてオレンジ色の光で輝きながら、やがて消えていき、またしばらくすると出てくる。こういう現象が日本で観測されました。あの現象は、地球の中の日本という国に生きる私たちが空を見上げた時に、月が欠けているように見えるのです。しかし、もっと大きな眼で見てみれば、月があって、地球があって、太陽がある。太陽の光によって地球の影が月にできるわけです。それが地球にいる者にとっては、月が欠けているように見えてくるのです。これが自分中心のものの見方の正体です。

話が月の場合は、そんなに人を傷つけたりしません。しかし、これが人間と人間だったらどうでしょう。人間と人間が相対する世の中で、私を中心に物事を見ますから、光の当たり具合によっては、悲しいことに相手が欠けて見えてくる時があるのです。でも、それは自分中心に物事を見ているから欠けているとしか見えないのです。こうして本来は心を通わせて出会うべき人にも関わらず、人間は相手が欠けているように見えてしまって、何か大事なものを見失ってしまうのです。これが人間の抱える「見濁」という濁りの問題です。でも自分では相手が欠けているとしか思っていませんし、自分が濁っているなんて思っていませんから気が付けない。こういう闇が私たちには有りはしないですか。このような、私を照らし出す教えを、人々は長いこと大事に聞いてきたという歴史があります。

 

 

  • 天上界

2つ目は「天上界」という言葉です。「天上界」というのは、人間が体験する迷いの世界です。これはどんな世界かというと、何でも思い通になる世界です。「こんなことがしたい」と思えば、たちどころにそれが叶う。「こんなところにいきたい」と思えば、たちどころにそれが叶う。いわば、誰もが心の奥底で憧れている世界です。人間は思い通にしたいですからね。だけどこれは仏教のいう迷いの世界なのです。どういうことかというと、こんな話を聞いたことがあります。

あるところに高校の先生がおられました。大変教育熱心で、生徒と相対していく時間を、自分の時間や家族との時間を顧みずに大切にしていました。やがてその先生は定年退職を迎えることになりました。今まで出来なかったことを好きなだけやろうと思いました。その方は釣りが大好きで、温泉に入ることが大好きで、お酒も大好き。定年退職をした暁には、好きな時に起きて、好きな時にお酒を飲んで、好きな時に釣りに行って、好きな時に温泉に入ろうと心に決めていたそうです。もう心がワクワクしてきた。やがてそのような生活を手に入れた。好きな時に温泉に入り、好きな時にお酒を飲んだりしていた。なんて幸せなんだろうと思った。

だけど一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、三ヶ月が過ぎたころ、その楽しみだった生活に陰りが見えたというのです。あれほどやりたいと思っていた釣りをしながらも、なぜか空しい。お酒を飲んでいても、次の日には醒める。なぜか空しい。毎日温泉に入っても、「また今日も温泉か」と飽きが来てしまった。

どういうことかと言いますと、人間は心の奥底で思い通に生きていきたい、欠けた生活を何とか満たしたいと思います。思い通に生きていけば幸せになれるのではないかと思っています。しかし、どんなに思い通りになったとしても、越えられないものがあるのです。それは空しさです。なんでこの世に生を受けてきたのか。この世で私は何をするべきなのか。ここが明らかにならなければ、どんなにお酒が飲めても、どんなに温泉に入れても、どんなに旅行に行けても、「これでいい人生だった」と言って死ぬわけにはいかないのです。それほど、私たちは自分の思いよりも、もっと深いものに出会わなければ、解決しないものを抱えているのではないでしょうか。だから、750年もの間、人々は教えに出会ってきたのです。「こんな確かな世界があったのだ」と、その感動が人から人へつながって、そして場が開かれ、世界が開かれ、人々は立ち上がって歩んできた。こういう歴史が750年間も続いてきた。

そして、この歴史は750年で終わりではないのです。800年、850年、まだ見ぬ子どもたち孫たちまで、この地球がある限りずっと続く。なんでこんなことが言えるかといえば、人間は時に苦しみを感じ、濁りを抱え、どう生きたらいいのか分らないという、暗さや闇を本質的に抱えているからであります。そのような私たちの持つ闇を照らす光を仰いでいくのだと。その出発点が今日という日であります。そのことをお互いに確認していきたいと思っています。

 

 

  • 地獄と極楽の話

地獄と極楽の話というのが仏教にはあります。私はその話に昔から「これは本当に親鸞の教えにかなっているのだろうか」と疑問がありました。色々なことを考えていくうちに、新しい物語を今日のために作ってきました。今からその物語をご紹介したいと思いますので、ゆったりとした気分でお付き合いいただければと思います。

人がいのちを終えるとエンマさまの前に通されると言われています。まずそこで、人々は待合室のようなところに入れられて、しばらく待たされます。やがて人々はお腹が空いてきます。その頃を見計らってエンマさまは人々を別の部屋へと通します。その部屋にはたくさんの美味しそうなご馳走が用意されていました。エンマさまはこう言いました。

「今から好きなだけ、このご馳走を食べてよい。ただし目の前に用意してあるお箸を使って食べるように。見事お腹が一杯になった者は極楽へ。飢えたままの者は地獄に堕ちるだろう」

よく見ると1メートルもあろうかという長いお箸がそこに置かれていました。1メートルですから手よりも長い。このお箸を使っていったいどうやって食事をとればいいのだろうか。いくらやっても口に届きません。人々に動揺が広がります。するとエンマさまはこう言いました。「では、今から地獄の食事風景と極楽の食事風景を皆さんにご覧いれよう」

最初に見たのは地獄の食事風景でした。人々は争うかのように食べ物に箸を付けるのですが、1メートルもある箸ですから、いくらやっても食べ物を口に入れることが出来ません。上から落としてみてもうまくいきません。こうして人々は先を争いながら、そして空腹のまま、醜い争いをくり返していました。

極楽の食事風景をのぞいてみると、同じように人々は長い箸を使って食べ物をつまむのですが、自分で食べるのではなく、目の前の人に食べさせてあげているのです。そうすると、目の前の人も食べさせてくれる。そこにはとっても豊かな食事風景が広がっていました。

人々はこれで安堵します。ああやって食事をとればいいのか。これでみんな極楽に行けるはずでした。

ところが、実際に食事が始まってみると、次から次へと人々は地獄に堕ちて行ってしまったというのです。いったいなぜでしょう。極楽へ行く食事方法はすでに教えてもらっているのに、なぜ人々は地獄に堕ちていってしまったのでしょうか。

地獄に堕ちていく人の中には、3つほどのパターンがあったといいます。

ひとつ目のパターンは、「ただ待っている」という人です。自分からすすんで行動を起こすことはせず、自分から言葉を発することもせず、ちょっと口を開けてただ待っているのです。たまにその人の存在に気づいた者が食べ物を与える。するとお返しにその人にあげる。けれども自分から何も行動を起こさないのですから、あまりにも目立たなく、やがて人々はその人の前を素通りしていきます。こうしてその人は飢えを抱えたまま、誰も俺に食べ物を与えてくれないと人々を恨みながら、地獄へと堕ちていってしまいました。

ふたつ目のパターンは、「ひたすら与える」という人です。自分が助かりたいですから、これも食べろ、あれも食べろと、とにかく与える。だけど相手の好みも聞かず、相手が今空腹かどうかも聞かず、ひたすら与え続ける。ですから、そのやり方があまりにも自己中心的なため、やがて人々はその人の前から一人減り二人減り、少なくなっていきます。こうしてその人は飢えを抱えたまま、人々を恨みながら、地獄へ堕ちていってしまいました。

みっつ目のパターンは、「条件を付ける」という人です。今から俺がお前にこれを食べさせるから、お前はこれを俺に食べさせろという感じです。一見理に適っているようですが、そのやり方があまりにも高圧的で、上から目線で、高飛車なため、その人の胡散臭さに、人々はその人から距離を置いていきます。こうしてその人は飢えを抱えたまま、人々を恨みながら、地獄へと堕ちていってしまいました。

極楽へ往生する方法は誰もが知っているのに、極楽に往生する人はひとりもいません。ほとんどの人が地獄に堕ちていくのです。

しかし、それからしばらくたって不思議な事が起こり始めました。一旦地獄に堕ちた人の中から、新しく極楽へ往生する人が生まれてきたというのです。いったい、なにがあったのでしょうか。

ひとつ共通することがありました。それは飢えを抱えたまま、人々を恨みながら、地獄へ堕ちていった者が、実は地獄へ堕ちる原因を作っていたのは、人々ではなく、何も生き方を表現しない自分の積極性のなさ、自分の自己中心的な心、人よりも上に立ちたいという傲慢な心。こういうものが地獄に堕ちる原因だった。そのことに痛み、悲しむ心を抱いた者が、新しく極楽へ往生していったというのです。

「堕ちる地獄の怖さは知れども、地獄をつくる己の心を知らぬ」。

人間は何でも見通せる目を持っていると言われますけれども、自分ではなかなか見えない闇を抱えているのが人間です。そのような人間に、仏様の教えは生き方を照らし出している。宗教とは生き方です。知識ではない。本当に生き方を与えるものが親鸞の仏教だと思っています

さて、極楽の食事風景を最後に見てみましょう。自分が取った食べ物を相手が食べる。相手が「美味しい」と、にこやかな顔をしていることが、いつの間にか自分の幸せになっていたのです。そして目の前の人が自分に食事を運んでくれる、その相手と出遇うということが自分の喜びになっていったのです。人と人とが出会い、人と人とが触れ合う。それが喜びになる食事風景が、極楽には広がっていたということでありました。

地獄、極楽というのは死んだ後に行く世界ではありません。我々が今作り出している世界。それを地獄、極楽と仏教は表現しました

さて、最後に、今私たちは地獄に堕ちるような生き方をしてはいないでしょうか。本当に極楽に生まれるような、人と人とが出会いを喜ぶような豊かさを、身につけているでしょうか。仏様の教えは、私たちの生き方を静かに問い続けている。そういう教えだということを感じています。

 地獄と極楽のお話、これにて、おしまい、おしまい。(拍手)

 

 

  • 生き方を教える教え

今お話したのは、今回本明寺さんの御遠忌があるということで仏さまの教えはいったいどのような教えなのかということを色々考えていて、地獄と極楽の話を自分で作ってしまおうと思って作りました。前半は昔からある話ですが、後半は私が勝手に作ったものです。けれども独断で作ったのではなくて、浄土真宗の教えを曲がりなりにも聞いてきましたので、親鸞さんだったらどんな表現をされるかと思いながら作ったものです。

お話したかったことは、仏さまの教えは私の生き方を教える教えということです。私の生き方が間違ってないか。こういう生き方をするんだよという形で、私たちに生き方を教える教えです。その教えをこれからも皆さんと一緒に聞きたいと思っています。

 

 

  • 私は聞思します

さて、こちらの本堂に上がってくる途中に、いくつかの被災地の写真があったかと思います。あの写真は2011年3月の終わりから今日まで、ずっと被災地に出向いた彰一住職が撮った写真です。私もかなりのペースで彰一住職と一緒に行っています。先ほども「仲間」と言いましたが、一緒に被災地に行ってそこで一緒に活動するんです。しかし悲しいかな、私は気力は十分あるのですが、最近お年頃か、体力に自信がなくなってきました。でもその時は大丈夫です。彰一住職は30代ですから気力も体力も有り余っていて、油がのった時期です。本当にテキパキと被災者の周りを動きながら、活動を共にしてくれています。どのようなことをしているかというと、今日の「表白」が本当にそうだなと思ったんです。

「親鸞聖人、私は聞思します」と誓った三つの言葉がありました。一番最後の言葉は、「傷つき、悲しみ、怒り、苦しむ人々の声を聞く」と、こういう誓いをたてられました。私はその言葉を聞いていまして、一緒に被災地に出向いた時に、本当に私たちが大事にしなければならないことは、これだなと改めて腑に落ちました。そこに傷ついて悲しんで現実を怒り苦しむ人々がいる。まさに私や彰一住職がやってきたこと、目指してきたことは、その人々の声を聞くということに他ならなかったと思います。

 

 

  • この瞬間を人々は生きている

これは私が被災地で聞いた声です。東日本大震災の津波で79歳の女性が、ちょうど私と同じくらいの年の息子を亡くされたことを一対一で座りながら私に語ってくれました。なぜ79歳と暗記しているかというと、昭和10年生まれで、私の母と同い年だからです。いろんな人生の苦労を乗り越えてきたであろうその女性が、79歳、当時76歳ですけれども、その時に息子さんを亡くされた。そのことを「悔しくてね。悲しくてね」と話してくれました。そして、大粒の涙を私の前で流しておられました。母と同い年ということもありましたが、その方の話をしいてる仕草、それから表情、大粒の涙、これが私の脳裏に焼きついています。そして、どうすることもできない無力さも感じました。けれど、そこに色々な悲しみを抱えながら今を生きている人がいる。色々な怒り、色々な苦しみ、色々な悲しみを抱えながらも、今この瞬間も人々はこの地球上で生きようとしている。これは忘れてはいけない、と強く思っています。

 

 

  • 故郷とは

それから、定期的にお邪魔しているのは福島県いわき市にある仮設住宅です。そこの仮設住宅には、原発事故によって故郷に帰れない人たちが共同生活をしています。故郷に帰れない、これがどんなに過酷なことか、私にはよくわかりませんでした。けれど、故郷というのは単に何丁目何番地という場所ではなく、それは空気の匂い、町の雰囲気、そこで生まれ育った思い出、そこで紡いできた人間関係なんです。このことをもっと想像しなければならないと私は思っているのです。

こういうものが一気に奪われてしまったわけであります。そこの仮設住宅で出会った人々は、人間関係が崩れて、空気も生まれ育った所も、そして何よりも自分がそこで生きてきたという証も、あの日奪われてしまった人がおられるのです。そのような方々と、定期的にお会いしていますが、私は忘れてはならないその人たちの声を聞かせて頂きました。

 

 

  • 落ち着ける場所がほしい

仮設住宅は仮の棲家です。定住する終の棲家ではないわけです。仮の棲家ですから、隣の声がまる聞こえだそうです。テレビの音が聞こえてくる。だからなるべく音をたてないような生活をしておられるそうです。そのような仮設住宅に住んでいる方が、「早く心の底から落ち着ける居場所がほしい」と、こういうことを言葉にして私に届けてくださいました。とても印象に残りました。

これは福島県いわき市にお住いの東日本大震災で被災された方から聞いた言葉でありますけれども、それだけではない。これは今を生きる多くの人たちの、心の底にある叫びではないかと私は思いました。子どもたちの叫びでもあるし、青年たちの叫びでもあるし、中年たちの叫びでもあるし、高齢者の叫びでもあるのではないかと思います。

「早く心の底から落ち着ける居場所がほしい」このような、世の中に満ちている声をきちんと聞いていく、こういう歩みをしていきますということを今日、本明寺の3代目の住職は仏さまの前で誓われたわけであります。

その言葉を聞いておりました私も、痛切に思いました。私もそういう声を聞いていかなくてならない。その事を考えて人々と共に、落ち着ける居場所を探す旅をしようと、そのようなことを今日ここに来て思いました。

 

 

  • グリーフケア

今の話は東日本大震災の被災者の話でしたが、それだけではなくて、私たちの人生の中にも取り返しのつかない出来事ということは、よくよく目を凝らせばあるわけです。このパンフレットの中の私の紹介の中に、グリーフケアに力を入れていると書かれています。グリーフケアというのは聞き慣れない言葉だと思いますが、親しい人を亡くされた遺族の方々の集まりのことです。だから、お葬式を出した側の人、親しい方を送った経験がある人のつどいです。その人たちが3ヵ月に1回お寺に集まってきます。

本当に色々な体験をされた方々がおられて、毎回15名から20名、多い時には30名の方が集まることもあります。私はビックリしています。果たして人が集まってくれるのだろうかと思いながら始めた会なのですが、毎回色々な方が訪ねて来られます。これはうれしいことですが、言葉を返せば、今豊かな日本という国の中で、本当にどうにもならない出来事に遭遇して、人々はその時に深い悲しみを抱くわけです。どうしたらいいのか誰かに聞いてほしい。あるいはこの悲しみをなんとかしたいと思う人たちが、こんなにもおられるということを、痛切に感じています。だから、場を開いて人々が今の思いを語り合うということは、私は大事なことだと思っています。

 

 

  • 聞くべき声に耳を傾ける

1年ほど前ですが、40代の女性がお寺に訪ねて来られました。それまでお会いしたことはなかったのですが、その方はお寺の近くに住む方で、お連れ合いさんを亡くされたそうです。グリーフケアのつどいに来ていただけるということで、もちろん大歓迎ですと伝えました。

グリーフケアのつどいの日がやってきました。会が始まって、「正信偈」のお勤めをして短い法話を聞いていただいて、そのあとに車座になって、どんなことを体験して、今どんなことを思っているのかということを語っていただきます。その方は最初から泣いてばっかりでした。ですから泣いている人に「どうですか?」と聞くのは失礼な話ですので、ずっと私はその方を当てずにいました。一通り色々な人が話をした後、最後にその方に振ってみました。その方はこうおっしゃいました。

「今日は自分から進んで話さずに、聞くだけで帰ろうと思ったけれども、ここに来たら自分と同じように、沢山の人が大事な人を亡くされて、いろんな思いでおられることがわかった。だから私も、ここだったら今の思いを聞いてもらえるのではないかと思って話します」ここまで言うのに涙・涙だったんですけれども。

その方は去年の6月に山岳事故でお連れ合いさんを亡くされたそうです。これは「さようならのない別れ」です。「ありがとう」とか、「さようなら」などの言葉がない別れです。ある日突然いなくなってしまった。そのことが自分では受けとめられない。

だけれども、その方がおっしゃっていたことは、もう一つ辛いことがあるというんです。それは「あれだけニュースになって、テレビにも出て、お葬式もあって、子どもの学校のPTAの仲間がいっぱい来て、みんな知ってるにも関わらず、誰もあのことに触れようとしない。今、私の心の中はその事ばっかりで、いったいどうしたらいいのかわからないのに、町ですれ違う人たちは、みんな何事もなかったかのように笑顔で私の前を通り過ぎていく。これが辛い」こうおっしゃるんです。

私はビックリしました。聞くべき声を聞いてこなかったという自分を感じました。語るべき場所を持ってこなかったことも感じました。グリーフケアのつどいは聞くべき声を聞いて、そして語るべき言葉を語っていく、そういう機会であります。

 

 

  • 悲しみの深さは贈り物の大きさ

もちろん私はその方の悲しみを取り除くことはできませんが、浄土真宗の中で出会ってきた言葉を紹介させていただいて、一緒に考えていくことはできます。この間ご紹介したのは、もうお亡くなりになられた宮城顗という先生の言葉です。

「悲しみの深さは贈り物の大きさ」本当はもっと長い言葉です。「人を失った悲しみの深さは、生前にその人から頂いた贈り物の大きさである」という言葉です。意味の深い言葉だと思います。悲しみが深いということは、その人からもらった贈り物が大きいということなんだということです。贈り物が何もなければ悲しみも深くないかもしれませんが、悲しみが深いということは、贈り物も大きいんだというのです。

親鸞聖人の流れをくむ宮城顗先生が残してくださり、そして私にまで届けて下さった言葉です。であるならば、この悲しみの深さに目を向けるのは当然ですけれども、贈り物がいったいなんだったのか、これを明らかにするのが遺された者の大きなつとめなのではないかと思うわけです。どんな贈り物を頂いたのか。これを自分の頭で考え、その人との関係において明らかにしていく。

750年続いてきた歩みというのは、こういう歩みです。道を訪ねて、そして親鸞聖人の言葉に出会い、そこにあたたかなものを感じてきた、そういう人類の歴史が750年あったわけですから、本当に頼もしい歴史だと思います。

 

 

  • 根が石を包み込むように

鹿児島県に屋久島という島があります。そこに「屋久杉」という杉が生えています。その「屋久杉」は、屋久島に生えていればすべてが「屋久杉」かというと、そうではなく、樹齢1000年を経たないと「屋久杉」とは言わないそうです。樹齢1000年未満の杉は「小杉」と言います。例えば樹齢980年と聞くと、すごく長そうですが、屋久島では「小杉」と呼ばれています。そして1000年以上生きた杉が国の天然記念物になる「屋久杉」と呼ばれるようになるということです。

ところで、杉の寿命はどのくらいかと言いますと、500年しか生きられないのだそうです。その500年しか生きられない杉が、屋久島では1000年も2000年も3000年も生きるというのです。

では、屋久島というのはそんなに杉にとって豊かな場所なのかというと、反対なんだそうです。屋久島は九州で一番高い宮之浦岳という山があります。火山でできた島ですので、岩がゴツゴツしていて、栄養分がほとんどない。そこに杉の木が芽生え、やがて大きくなっていく。邪魔になるような石がある。普通だったらその石をどけて土を入れればいいのですが、誰もそんなことはしてくれません。するとどうするかというと、倒れないように根っこが石を包み込む。石をどけるのではなくて、石を包み込むのです。そしてどんどん高く伸びようとする。けれども、屋久島は非常に強い台風が通るところで、台風の度に手足がもがれるようにして、枝が折れてしまう。だけれども、そのような環境の中で大地に根を張り、石を包み込み、折れた枝はコブにしながら、「屋久杉」という天然記念物になるわけです。

私は昔行ったことがありまして、「屋久杉」の中でも「縄文杉」というのは樹齢3000年です。中国3000年の歴史と言いますが、同じくらいの長さです。そして「縄文杉」の高さは何メートルかというと、そんなに高くないのです。30メートルです。なぜかといえば、雷に打たれて上が折れているからです。そして、胴回りが16メートル。これは枝がもがれた時にコブになっているからです。だから本当に見るものを圧倒するように、どっしりとした「縄文杉」という屋久杉がそこにあるのです。

今私が何を言おうとしているかというと、人間が生きていく時には、邪魔と思われるような石があるんです。起こらなければよかったと思う出来事もあるんです。身近な人が急に亡くなるということもあるんです。まるで手足をもがれるような痛さを感じることもあるんです。落雷に打たれるような身につらい出来事も起こるんです。これが人生です。

だけれども、そのような人生にあって、辛いことはなるべく忘れ去って、邪魔な石はどけて、という生き方ではない生き方があるということを、屋久島の「屋久杉」は私たちに教えているのではないでしょうか。石があれば包み込めばいいんだ。そして倒れないように抱きかかえればいいんだ。手足をもがれるような、忘れてしまいたい出来事にあえば、それをコブにすればいいんだ。これは人間の発想からはなかなか出てこないことですけれども、自然界にある「屋久杉」という杉が、コブのようにして生きていく。それが天然記念物と呼ばれるような、見るものを圧倒するような姿に成長していくということを、私に伝えてくださったのではないかと思っています。

 

 

  • 蓮の花は泥じゃないと咲かない

仏教という教えもよく似た教えです。今日、阿弥陀さまが正面に立っておられます。阿弥陀さまは蓮の花の上に立っているんです。蓮が花を開いたところに立っている。仏像は、だいたい蓮の花の上におられます。これには深い願いが込められています。

実験した人もいるそうですが、蓮の花というのは高原のさわやかな清水では咲かないらしいです。蓮の花はドロドロの泥の中から花が開く。蓮の花というのはそういうものであります。

これは何を意味しているのかといえば、私たちは人間として生を受けて、ドロドロとしたものを抱えていませんか。出来れば清らなものにしたいと思うような自分はいませんか。出来れば起こらなければよかったのにと思うような出来事はありませんか。出会いたくなかった他者とか・・・。そういう、出来れば捨ててしまいたいドロドロが、実は無駄ではないのです。そこを栄養にしてしか、咲かない花があるんだということを、阿弥陀さまはあの姿で私たちに教えてくださっているんだと思います。

間違えてはいけません。泥でも咲くのではないんです。泥じゃないとダメなんです。泥じゃないと咲かないんです。深い意味が込められているのではないかと思います。つまり、我々が人間として体験する様々な出来事が、無駄にしたくなる心が、私たちには起きるんですが、そうではなくて、それは無駄にはならないという、確かなものを私たちに伝えようとしているのではないでしょうか。

 

 

  • お寺を自らの居場所に

本明寺さんと皆さんにとって本当にうれしい付き合い方は、どんな付き合い方だと思いますか。本明寺さんと限定しなくてもいいのですが、お寺の者にとってご門徒とのどんな付き合い方が一番うれしいと思うか。法事をたくさんしてくれるとか、お布施が多いとか、そういうことではないんです。

この本明寺さんは念仏の道場ですから、生きることを確かめ合う場所です。この場所を自らの場所にして一緒に教えを聞いたくださるご門徒が来られるということが、なによりも喜びなんです。これは私がそうです。確信しています。ですから「本明寺さんを自らの居場所に」これを今日は誓っていただきたい。ご門徒の皆さんは、お客さんではなくて、この本明寺さんを自らの居場所にしてほしい。ここを私の居場所にして、生きることを学ぶ場所にしていただきたい。これは同じ真宗大谷派のお寺の住職として、皆様にお願いしたいことであります。

最後に、本当に親鸞聖人の750回目の御遠忌法要、そして新住職のご就任、誠におめでとうございます。(終わり)

 

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存明寺の行事ご案内

〇2018年1月1日(土)午前10時~

年のはじめの「修正会」(しゅしょうえ)
内容:勤行・年頭法話・乾杯・年頭感話
お話:酒井義一住職&総代
※カレンダーとおしるこをプレゼント。
書き初めのコーナーもあります。

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親鸞と出遇うお寺
真宗大谷派 存明寺

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行事・催しのご案内

存明寺の動画コーナー

◆新作動画「存明寺の青年の集い」

◆新作動画「存明寺の新盆合同法要」