真宗 大谷派 存明寺

ボランティアと真宗(住職の法話) 

ボランティアと真宗

日時 2014年1月21日(火)

場所 名古屋教務所にて

お話 酒井義一存明寺住職

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東京教区における被災地支援のはじまり

東京教区で被災地支援が始まったのは、2004年、「同朋社会推進ネットワーク」という組織ができてからのことです。その年の10月に新潟中越地震が起きました。我々は、何の準備もないまま現地に入り、結局なにもできませんでした。そんな中で、三条教区の有志が300人前の大鍋で炊き出しをし、被災者に寄り添いながら、ともに生きようとする姿に心打たれ、常日頃から炊き出しの訓練をしておくことの大切さを痛感しました。その後、東京教区でも災害対策用の大鍋を買い、2007年の新潟中越沖地震では、二年間に20回ほど被災地で支援活動を行いました。さらに教区の報恩講では訓練を兼ねた炊き出しが行われるようになりました。 このような取り組みが始められるようになって、2011年3月11日を迎えました。これまでは教区の一部門としてボランティア活動を行っていましたが、東日本大震災への支援活動を東京教区全体の活動として位置づけ、東京教区がボランティアを募り、毎週交代で被災地に赴く方針を決定しました。活動資金についても「東京教区ボランティア基金」を設立し、毎月の教区報などによって、勧募やスタッフの募集が行われるようになりました。こうして継続的な活動ができる仕組みが完成し、現在も被災地支援を継続しながら「浄土真宗におけるボランティアとは何か」ということを、一人ひとりが探しているところです


人との出会い、いのちとの出会い

2011年3月28日に初めて東北の被災地に入った頃は、まだ自衛隊が遺体の捜索をしていました。そこで、土台だけになった我が家の表札を外そうとしている人に出会いました。家を流されるということは、これまで生きてきた証を失ったということです。その人は、ただひとつ残された表札を取るという形で、ご自身のいのちの証を求めているように思えました。 岩手県の山田町で炊き出しをした時は、準備中から後片付けが終わるまでの9時間もの間、私たちの傍を離れない方との出会いがありました。はじめはその意味がよく分かりませんでしたが、自分たちのために来てくれる人のそばに居ることで、見捨てられていないと感じておられたのではないかという言葉を聞き、目から鱗が落ちる思いをしました。その方々は、自分たちの町がどういう状況だったのか、今、何を感じているのかということをずっと語ってくれました。決して見捨てられることのない世界を願い求めている菩薩さまのようでした。 多くの子どもたちが津波の被害に遭った石巻の大川学校の子どもたちがいる仮設住宅を訪ねたのは夏でした。かき氷を自分で削り、好きなシロップをかけて作るというコーナーを設けたところ、ひとりの女の子が私のためにかき氷を作ってくれました。私が「ありがとう」と言うと、その子は「こっちこそ、ありがとう」と応えました。たったそれだけの会話ですが、何かジーンと温かなものが伝わってきました。「支援するものが支援される」という言葉がありますが、この何気ない会話の中で「どうか私たちの事を忘れないで」「人間の悲しみにきちんと真向かうような人になってね」と願われているような気がしました。


大切にしている5つのこと

様々な活動に関わる中、今私自身が大切にしたいことを5つにまとめました。

【問われ続けている】

東日本大震災そのものから、私たちの生き方が今も問われ続けている。多くの方々の命が奪われ、それを上回る多くの方々が今も様々な苦しみや悲しみを心に抱いておられます。同じ時代を生きている我々がどういう生き方をしていくのか。人々の苦しみや悲しみの現実にきちんと向きあうような歩みができているのか。「自分でなくてよかった」という世界に閉じこもって、悲しみの中を生きている人々に背を向けていくのか。たとえ人が忘れようが、風化しようが、今も問われ続けているという事実は少しも変わらずに在りつづけていると思います。

【ひとりということ】

石巻の小網倉で出会ったご婦人は、私と同い年の息子さんを亡くされました。彼は消防団員として、人々を避難誘導した後、港に戻って堤防のハッチを締め、堤防の上に立って一体どの程度の波が来るのかと眺めていたそうです。しかし想定をはるかに越える大きな波に呑まれたということでした。3ヶ月後、変わり果てた息子さんが発見され、現在は仮設住宅でお爺さんと暮らしておられます。「悔しくてね、悲しくてね」と、私の目の前で涙をこぼされました。 2014年1月10日の集計ですが、東日本大震災の死者は15,884人、行方不明者2640人です。亡くなった方の数をもって、東日本大震災の悲惨さを表現すると大きな落とし穴があります。「ひとりの人が亡くなった」という出来事が、一度に約2万通り起きたのです。その周りには「悔しくてね、悲しくてね」と、深い悲しみを抱く大勢の人々がおられるのです。こういう視点を持たなければ、もっと大きな災害が起きた時、東日本大震災はいとも簡単に忘れ去られてしまいます。 また「ひとり」に向き合う我々もまた「ひとり」です。他の誰かではなく、聞いた者、見た者の責任において自分に何ができるのか、何が問われているのかを考える「ひとり」になっていく。それが東日本大震災から願われていることではないかと思います。

【名を取り戻す】

私は「被災地」と呼ばれている場所に「被災者」を支援にいくというように思って活動を始めました。しかし回を重ねる毎に、いわき市という場所には「自治会長のサカワさん」、「お酒の大好きなフジイさん」、「念珠作りが大好きなタカコさん」という人がいて・・・と、具体的に名を持つ人となっていきました。そうなると、お互いに弱さを抱えている人間同士、人として生きることを支えあう世界がひろがる。これは真宗の名におけるボランティアに欠かしてはならないことだと思います。私たちは、かわいそうな人を救ってあげるという教化者意識が頭をもたげて、同朋という精神をいつも見失う危険性を持っています。そうではなく、互いに名を持つものとして、水平の関係を回復していく。これが支援活動の先に流れる大きな願いではないかと思っています。

【そこに人がいる】

原発から10キロほどの町では、あの日を境に故郷に帰ることが許されなくなり、人間関係もズタズタになってしまいました。ある人は言います。「久しぶりに一時帰宅すると、家の周りには野良ウシが、家の中にはネズミがいっぱいいて、「誰だこいつは」という感じで私たちを睨んでいた。もはや我が家は、動物のものになってしまった」、と。 家や故郷を失うということは、そこで培ってきた人間関係や思い出までも失うということであり、人を失うということと同義です。そのような故郷を奪われたという過酷な現実を抱えながらも、心安らぐ世界を求めている人がそこにいる、そういう視点を忘れてはならないと思います。

【聖典を読み直す】

宮城顗先生が、「真宗を学ぶ者の姿勢は、現実と聖典の間(はざま)に身を据えるということが大事なことだ」とおっしゃいました。現実に起こっている出来事を見定め、聖典の言葉に立ち返っていく。被災地に身を置き、人々の声を聞きながら、親鸞聖人の言葉や生き様に自らの方向を確かめていくことが大切だと感じています。


親鸞聖人に出会いなおす

親鸞聖人が書かれた『唯信鈔文意』という文書があります。その中で親鸞聖人は、大自然の厳しさの前でなす術もなく立ち尽くし、様々な煩悩に身を煩わせ心を悩ます人々を指して、「よろずの煩悩にしばられたるわれらなり」と言われます。 この言葉は、そのような人々の声に耳を澄ませ、きちんと向き合うことがなければ決して出てこない言葉です。私はここに、法を説く親鸞ではなく、聞く人親鸞を感じるのです。「いし・かわら・つぶて」のような、声を持たず、踏まれても見向きもされない、そういう中で生きている人々を「われら」として見出し、「こがね」として、ともにひかり輝いて生きていこうと叫び続ける親鸞の姿です。 苦悩している他者がいて、それを救うということではなく、他ならぬ私自身が救われなければならない「ひとり」であったのだということが込められています。その精神に立ち返っていかなければならないと強く思います。 私たちの取り組みは誠に些細です。しかしそこで見た風景、人々との出あい、その方々から聞いた声は、決して些細なことではなく、私にとっては非常に大きなことでありつづけています。目の前で流された大粒の涙や、大きく手を振って見送ってくださる姿に触れて、私の中に「この方々に背を向けるような生き方はしてはならない」という心を賜りました。それを枯らさないためにも、人々と出会うことや聖典を読み込むことを通して、私の歩みを確かめなければならないと感じています。

 

                                  了

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〇2018年1月1日(土)午前10時~

年のはじめの「修正会」(しゅしょうえ)
内容:勤行・年頭法話・乾杯・年頭感話
お話:酒井義一住職&総代
※カレンダーとおしるこをプレゼント。
書き初めのコーナーもあります。

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